毒出し
組織を立ち上げること、事業所を立ち上げることの忙しさを見誤っていたのかもしれない。7月頭に中学校時代のクラス会の話があった。連絡先がわからない人、住所録の不在、それから調査をやろうということになるのだが、実行部隊がいない、ああだこうだいう人はいるけれど、それをまとめて統括すること。それを誰がやるのか。結局僕がやることになる。それがまずは悪いことだ。そして自分のこととはいえ忙しさが襲ってくる。催促の嵐。自分の都合ばかり。ならばこれは私がやりましょうという発言は皆無だ。おまけに僕が作った案内文の一字一句への添削。あんたら何様。切れたね。珍しいけれど。
建前口では「忙しいのにゴメンね」とは言う。それはあくまで言葉だけなんだよ。それならこれはやろうかという言葉はどこからもない。もうやめた。これって日本の今。関係切ってもいいよね。悲しいけれど。
縮図
最近日本人の縮図みたいなものにさらされて、ストレスが溜まり放題な毎日をおくっている。色々な経緯があり町内会の活動を手伝っている。この町内会は結構大きく町内会館も所有している。その会計担当をしてほしいという話がどんどん肥大し管理全般までやることに。住込みの管理人はいるのだが。
この度、その会館においてあったカラオケマシンが壊れた。過去お金があった時は数十万円の修理費を出したらしい。マラオケマシーンは今はなきレーザーデスク付きで部品ももうない。数ヶ月前から通信衛星カラオケの業者から営業があり、何度もの交渉の末破格の費用で通信カラオケが入れることができる条件があった。でも毎月の情報料金をどうするのか、カラオケを使用しているグループは3団体それに町会を含めて4つのグループで数千円ずつ出し合ったらなんとかできそうだと考え提案する。喜ぶ人がいる一方、何だかんだ言って払いたくない人。会館を建てる時金を払った、(それは殆どの町民が出した)大掃除を手伝っている。はては相談する順番が違う。皆さんの前で説明しますというと、会長を差し置いてそんなことはだめだ。そんなやりとりを続けていると頭の中に霞が広がっていくような感覚に襲われる。それとは別のグループの人はやはりグループの長を差し置いて話をしたというクレームが電話で入る。そんな電話に毎日追っかけられている。自分の権利は主張する。でも町内会を一人一人が育てていこうという発想はない。どうしたら良いですか。こちらからの問いにはそれはお前が考えろ。
これってもしかして形を変えて日本中で起きていることかなあ。
ちょっと見えてきた
遠くに見えてきたもの
障害者自律訓練施設。行政や大規模な施設からすっぽり抜け落ちてしまう様々な人たちと
共に生きる場。そこを利用する人は動機なき引きこもりであったり、生活支援が必要なひとたち
彼らのあくまでもエンパワメントを最大限引き出す場。そこから就業移行や就業定着にもつながる場。なによりも障害者も高齢者にとっても居場所となる場。(でも決して固定的ではない場)
悩みに悩んで、見えてきた場。これをどう肉付けしていくのか。もちろん資金の問題もある。
(自慢じゃないけれど金はない)
そしてその先にあるのは親亡き後の利用者の生活。生存のためのサンディカ。